ヨーロッパサイクリング旅行記
1996年7月〜8月 フランスのパリ → ポーランドのワルシャワ 迄
Last Update Jun.11, 2003
フランスの感想
車の運転が荒い!
みんな自分の運転技術の限界か、車の限界か、どちらかのスピードに達するまで加速を止めない。 また、いつも限界で走ってるので、みな自分の限界点がびっくりするほど高い。しかも歩道や路側帯が殆ど無いので、自転車で走ってると、後ろからくる車が恐ろしい。さらにほとんどの場合、どの車も思いっきり飛ばしているので、悲鳴の様なエンジン音がしている。「ヨーロッパをサイクリングなんて無理かも?」と、少し弱気になったりした。
レストランの敷居が高かった。
安そうな、セルフの店でちょっとだけ食べても1000円を越えてしまい、気が滅入る。然も初めての海外で、どの程度の店からチップが必要なのかわからず、最低ラインの店にしか入る気がしなかった。
自転車は盛んでなかった
ツールドフランスなんかが有るところから、てっきり自転車が盛んなのだと思い、自転車を買うために、出発地をパリにした。しかし自転車に乗っている人は余りいなかった。当然自転車店も少なく、有っても規模が小さかった。ベルギーやドイツは、結構自転車が盛んでショップも多く、少し後悔した。
寒かった
朝起きて窓を開けると、息が白かった。サイクリングを始めたら、出来るだけテント泊にしたかったが、自分の持っている3シーズンのシュラフでは役不足で、夜中寒くて、何度も目が覚める羽目になってしまった。因みに、天気予報での最低気温は10度を切るのが普通だった。しかし今回の行程の中ではこのフランスが一番暖かかった。結局ポーランドで新しいシュラフを買ってしまった。
田舎は良かった
どこの国も田舎はいいです。景色も最高!”来て本当に良かった”とおもいました。どこの国に行っても、都会や観光地は面白くなかった。今回、もし電車で旅行していたら、随分つまらない思いをしたと思う。
初めての国境
フランスからベルギーに抜けたが、ワクワクするほどのものではなかった。国境ではポリさんが二人立ち話しているだけで、こちらを見ようともしなかった。これはドイツに入る時も同じ。でもポーランドは別で、何でも適当にやっている自分は、入る時にも出る時にも思いっきり引っ掛かってしまった。(これはポーランド編で、)
ベルギーについて
特に書く事はない。国がせまいせいか、すみずみまでよく開発されている。
そうそう、自転車について書かなくては!
自転車はランドナーを買うつもりだった。ランドナーというのは、キャンピングモデルよりもタイヤが細いがレーサーよりは太い。しかしあちらも日本と同じでマウンテンバイク(MTB)全盛のようで、ショップにはMTB以外にはちょろちょろっとレーサーを置いてるだけで、ランドナーもキャンピングも何処の店にも置いてなかった。そこで仕方なく安物レーサーにキャリアを付けるという、何とも頼りない方法をとった。普通のレーサーでは問題ないような段差や石畳が、荷物を満載すると、非常に走行が困難だった。特に何十キロも続く石畳には泣か
された。
ドイツについて
自動販売機を発見!
フランスにもベルギーにも無かったジュースの自動販売機がドイツの都会には有った。といっても日本のような”所かまわず”というものとは根本的に違った。
道がきれいで、交通マナーもよかった。(フランスとは大違い)
ほとんどの場合、車、自転車、人、それぞれに専用のレーンが有る。しかも自転車に対する気の配りようはなかなかで、わずかの段差も無いように、最大限の努力がしてある。(超快適)
また、多くの人が自転車を楽しんでおり、MTBだけでなくレーサーなんかも多かった。また、僕が道をわたろうとしていたりすると、たいがい車が止まってまって待ってくれる。また、もたもたしていてもクラクションも鳴らされない。反面交通マナーに反するような事をしていると、「アンタは関係ないやろ!」と、言いたくなるような車までクラクションを鳴らしていく。(よく左側を走って鳴らされた。)
ライン川
んー...最高でした。ライン川ぞいを自転車で走るためだけにもう一度行っても良いと思う。(自分は、ケルンーボン間をはしった。)
ライン川は、古城巡りとしてライン下りが有名だが、自分は古いお城より、ライン川ぞいの公園が気に入った。日本では古い神社やお寺にしか無いようなでっかい木がいっぱいあり、静かで、ここでも自転車専用レーンが有る。これが川沿いに何キロもつづいている。観光客はみんなライン川下りの船に乗ってしまうのでこの公園はドイツ人しかいない。ここを走ってる時はあまりにも気持ちよすぎて頭がぼーっとしていた。
ベルリン
”でっかい”の一言に尽きる。遊びで持っていったハンディーGPSが一番活躍したのがベルリンだ。色々見たい所もあったが、都会は疲れるので、そそくさベルリンを後にした。ベルリンで日本人に話しかけられたのが最後でその後約三週間、関空に帰ってくるまで日本語で会話する事がなかった。。。
ポーランド
今回のサイクリングは全日程33日の内、23日間ポーランドにいた。思い出も多いので少し詳しく書いてみます。
いざ入国
ポーランドに入るだいぶ手前から、道は石畳になっていた。最初、石畳の道は、自転車を押して歩いていたのだが、ポーランドの手前30Km程から、ずーっと石畳が続いており、諦めて走りはじめた。国境までくると、今までの様なポリさんではなく軍服をきた人がたくさんいて、「そ〜やな〜。。。こうでないと雰囲気がでーへんな〜。。。」と、呑気な事を思っていた。並んでる車の列を追い越して、あっさりとパスポートチェックをしてもらった。パスポートを見せると、更に何か書類を要求してこられた。(リーズンペーパーとか言ってたかな?)「そんなものは知らないよ」と言いながら考えると、VISAを申請したときに、パスポートのスタンプといっしょに、申請用紙にも判子を押して返してきてたことを思いだした。で、「あ〜あ〜、わかったけどそれは家に有るよ。」と教えてあげた。まさか取りに帰れとも言わないだろうと思ったからだ。結局国境で、その申請用紙を作り直してもらって事無きを得た。
キャンプ場について
ポーランドにはキャンプ場がたくさん有る。観光地や大都市には必ず有って大変便利。ワルシャワの様な都市でも駅から2〜3キロの所に5ヵ所ほどのキャンプ場が有った。また、ほとんどのキャンプ場は、温水シャワーを完備している。今回ポーランドに23日間居た中でホテルに泊まったのは3日間だけだ。後はすべて公営のキャンプ場だった。
物価について
だいたい日本の1/3〜1/4ぐらい。ホテルのレストランで、
○スープ
○サラダ
○メインの肉料理かなにか
○ポテト
○ビール
○コーヒー
を食べて、1000円いくかいかないか。
-----------------------------------------------------------
◆ バルト海沿い
ポーランドで海に面しているのは北側だけで、これがバルト海だ。”海辺のキャンプ”偏愛者の自分は、先ずこのバルト海ゾイに走る事にした。しかし、これが大きな後悔につながった。いや、大きな後悔になる前に、進路を変えるチャンスもあったが、ずるずるとバルト海ゾイ
を走り切ってしまった。このバルト海に面した一帯は、ポーランドの人にとって、夏の憧れの観光地だった。猫も杓子も、金持ちも貧乏人もみんな狭い海岸にやって来て、その大多数がキャンプ場に殺到し、一週間も二週間も連泊する。で、何に後悔したかというと、この人達が非常にやかましい!だいたい消灯時間という概念が無いようで、みんなが寝ているすぐそばで、子供等が明け方まで、グランドの照明をつけて、バスケをしてたり、夜の10時頃にテントサイトの真ん中で野外オーケストラの、演奏会が始まったりする。(ポーランドでは花火を売
ってなくて本当によかった。)
この喧騒が海岸地帯だけのものなのか、内陸に入ってもそうなのかがわからなくて、ずるずる一週間海岸を走ってしまった。でも、こういったキャンプ場には、一番テンポよく会話がはずむ相手である、中学生から高校生ぐらいの子供がいるので退屈しなかった。何故この年齢とは会話がはずむかというと、会話に難しい単語が出てこないからだ。大人と話していると内容はおもしろいのだが、相手の単語がわからなかったり、自分の言いたい事をあらわす言葉が判らなかったりで、よく話がとぎれてしまった。中には「大戦中に日本はドイツと組んで戦っていたが、それについて君はどう思うか?」などと、日本語でもうまく答えられないような質問をされた事もあった。
短い海岸線しか持たない国の人にとっては、”海こそが素晴らしい”ということで、何人にも「海岸を歩いたか?」と聞かれた。一度、「あそこの海岸は、すごく美しくて、昨日自分は30Kmほど海岸を歩いた。すごく良いから、行ってみるといい。。。」と言われ、えっちら、おっちら、行ってみたが、日本では何処にでもあるようなただの海岸で、少し違うのは、遥か彼方まで人がたくさんいる事だった。
◆ 湖について
海岸線とは反対に、結構気に入ったのが、ポーランド全土に点在する湖だった。湖の近くにあるキャンプ場は人も少なくて落ち着けた。
また、人が少ないほど居合わせた人とは親しく話せた。でもみんなに、「なんでこんな所に来たのか?」と何度も聞かれた。
◆ ハ〜イ ???
ある湖のキャンプ場での出来事。その湖はすごく気に入って三泊した所だ。その湖にたどり着く前から、「少し疲れてきたし、洗濯物もた
まって来たのでいい場所があれば連泊をしよう。。。」と、探しはじめて6日目ぐらいでやっと見つけた場所だった。やっと見つけた時に
は、「ついに約束の地にたどり着いた。。。」というような気分だった。一日目は少し離れた所で、一日400円程でカヌーを貸していた
ので、パンや果物をお弁当にして、一日湖を見てまわった。次の日は、テントの前に座って湖を眺めていたら20歳ぐらいの女の子が来て「ハーイ」と言った。今まで「ハーイ」などという挨拶をした事のない自分は、なんと応えたものか。。。だいたい日本男児が、白人女性に「ハーイ」などといわれたくらいで、まさかニタッと笑って「ハーイ」などと応えるわけにわいかないだろう。。。等等等
# 何と応えたかは、ご想像にお任せします。
◆ アウシュビッツ
出発前から唯一心に有った”行きたい場所”がアウシュビッツ。
”行きたい場所”というのは正確でないかもしれず、”行かんとあかんな〜”場所。といったところ。でも、私はそれが何処にあるかも知らず、何度もドイツの地図を見ては首を傾げていた。見つからないはずで”アウシュビッツ”はポーランドに有ったのです。それに気付いたのはポーランドに入る前日だった...
で、行ってみた感想ですが、残念ながら私の感性の貧しさか、想像していた十分の一も”なにか”を感じる事は出来なかった。たしかに予め頭にある知識の範囲でなら感じるものは有るのだが...。つまり、”感じる”のではなく”思う”に近いものであった。どうでも良い事をたらたら書いているのは、私がこの事に、少なからずショックを受けたからで、改めて自分の冷めた横顔を見せつけられた気がした。
◆ ワルシャワ
御存じの通りワルシャワはこの国の首都。この街からの帰国であった為、5日程、暇な時間を持てた。まず最初の課題は”何処にテントを張るか?”である。5日も泊まるので是非快適な場所にしたい。途中知り合ったディックという中学の教科書に出て来そうな名前の青年が、”空港に一番近いキャンプ場が静かできれいだった”と、言っていたのを思い出し、とにかく街の地図を買って探してみた。それと思われるものが3つ程有りよく判らない。とりあえず順番に周ってみたが、どれも今一。だが陽も暮れて来て、疲れて来て、お腹も減って来たので、結局その中で一番ましな所にテントを張った。あとは毎日ぶらぶらと過ごした。やっぱり都会は面白くなくて、もっと途中でゆっくりすべきだったと後悔したがどうしようもない。そんな中で毎日行ったのがワジェンキ公園。昔の王様の避暑地として作られたようで、大きな
木が沢山あり、敷地は広大で非常に気持ちが良い。唯一不便なのが、公園内で自転車に乗っては駄目な事。私はそれを知っていながら、(公園内はあまり人もいないので)下り坂でゆっくり自転車に乗っていると、いきなり警備員と鉢合わせし注意された。公園内には二つ程カフェが有り必ずそこに行った。ビールを飲んでいると木漏れ日と、穏やかに抜けていく風が気持ち良かった。
ワルシャワで一番良かったのは中華料理だ。最初は中華料理なんかいつだって食べれるのだからと、余り興味を覚えなかったが(本当はうまく注文できそうになかったから?)、食べてみると非常においしかった。ここの中華料理は、日本でもそうだが本来の(中国の)味とはだいぶ違う様でポーランド風中華(或はベトナム風かも)。街のあちこちにワゴンで出店している。問題なのはメニューがこのワゴンの外壁に書いてある為(その数も非常に多い)、店員に指差して注文する事が出来ない事だ。仕方が無いのでローマ字読みで注文して、店員が何か言ったら「そうだ、それそれ」というような事を言い注文していたが、何を食べてもおいしかったし、日本の中華料理とはだいぶ違う味だった。
ワルシャワに居て便利だったのは自分には自転車が有る事だった。電車やバスを利用しなくても何処にでも行けたし、道に迷ってもそれはそれで楽しかった。
◆ 帰国
帰国の日が来た。飛行場までの道は、前日に下見をしてあるので(相当暇だったのでしょう)AM6:30にキャンプ場を出発しAM7:30には飛行場に着いていた。この日の心配事は手荷物の超過料金だった。前日下見に来た時にKLMのオフィスに行って聞いてみると、どうしても超過料金が必要であるらしい。心配しながら、自転車と手荷物を預けると15Kg程超過していたが、何も要求されなかった。これで心配事も無くなり、安心して出国手続に向かった。
が、パスポート検査で異様に時間がかかる。他の人はどんどん通っていくのに... 私は少し焦り、行ってもいいかと聞いたら、「だめだ、ちょっとこっちに来い」と言われた。あまり行きたくなかったが、走って突破するわけにもいかず、すごすごと従っていくと、小さな暗い部屋に案内された。そこには将校の様な軍服を着た人が二人ほどいて、部屋は真っ暗で、机の上には刑事ドラマの取り調べ室の様な電球むきだしスタンドが一つ有るだけだった。手荷物の超過料金に対する不安とはまったく異質の不安に襲われた私は、とにかく”いったい何が起こったのか”説明を求めた。何の事はなくビザに記載されている滞在日数を越えていただけだった。「そんな事を言われてもビザはポーランド
語で書いてあるのに...」と思いながらビザを見てみると、たしかにポーランド語に挟まれて20という数字が書いてある。「そういえば申請する時に滞在日数を指定されたような...」と思いながらも、まずは一安心。超過分のビザを発行してもらい無事帰国できました。
◆ 帰国して
帰国して、まずドキドキしたのが、日本語で会話できる事だった。
よく海外を旅行する人は、別に長い間日本語で会話できなくても当たり前の事だろうが、私にとっては初めての海外旅行であり、最後に日本語で会話したのがベルリンだったので、25日ほど経っていた。
それで関西空港について最初にしゃべったのが税関の兄ちゃんだったのだが、日本語で質問された時、非常にドキドキした。もっと喋りたかったが何もチェックしてくれず2〜3の質問だけで通された。電車に乗っても車内放送が理解できるのに少し違和感を感じるほどだった。
初めての海外サイクリングにヨーロッパを選んだサイクリストの為に へ